くじら紛争の真実

その知られざる過去・現在、そして地球の未来

小松正之編著 / 地球社 / 01/04/28

★★★★★

リキが入っている

 編著者は『クジラは食べていい!』の人。著者一覧には19人もの名前が挙がっているが、誰がどの部分を書いたのかはわからない。

 編著者ははしがきで「10年の歳月をかけた鯨の科学、法学、捕鯨の歴史・技術、反捕鯨運動、国際交渉の内容など全てが一目でわかる日本で初めての鯨の総合的専門書がようやくここに完成した」、「本書ほど易しく、詳しく、専門的、総合的かつ、最近の「くじらと捕鯨」を取り巻く問題を正確に取り扱った書は他にはないと自信を持って強調したい」と書いている。その自負のとおりの網羅的なリファレンス。

 完全に水産庁、すなわち「捕鯨推進派」の立場から書かれている。これは自らの主張をポジティブな方向で展開する記述では問題にならないが、対立する「反捕鯨派」の主張を紹介してそれに反論する部分では問題含みとなる。反論は概して冷静だけれども、フェアな立場からの両論併記がないということ自体が、リファレンスとしての価値を低めているように思う。

 なお、1990年代の「捕鯨推進派」の一般的なロジックは、「反捕鯨派」の主張は政治的なアジェンダを持つプロパガンダであり、「鯨の聖獣化」によって(「捕鯨推進派」のとっている)科学的なアプローチを亡きものにしようとする反知性主義だ、というもので、この読書メモで「と学会的」という呼び名を使っているタイプの議論である。以下、devil's advocateを演じてみよう。

 「鯨の聖獣化」は、鯨に親しみのない文化(特にアメリカ)が、鯨を食用にするなどの伝統を持つ文化(特に日本)に対して押しつけようとしているイデオロギーであるという主張にはそれなりの妥当性があるかもしれない。しかしそうだとしても、現代の日本人の少なからずが「鯨の聖獣化」をすでに内面化しているわけで、水産庁なり捕鯨推進派が現代の日本人を代表して「日本人はそのような内面化をしていない」と主張することはできない。一方、「日本人はそのような内面化をすべきでない」という主張は、上で述べたような「と学会的」な議論をベースにすることになるわけだが、捕鯨推進派の科学的な主張を受け入れたとしても、「鯨の聖獣化」のイデオロギーをあえて選択するという立場はありうる。つきつめれば、アフリカ諸国で人口が急増したときに、「環境のキャパシティに応じて人間を間引けばよい」という主張を大部分の現代人が選択しないのと同じことである。

 さらに、仮に捕鯨推進派のさまざまな科学的な主張が正しいとしても、多くの人間が「鯨の聖獣化」の価値観を持っていること自体は、全体的に見てプラスに働くかもしれない。実際、水産資源の持続的な利用を目標として掲げる人にとって、地球上の多くの人間がクジラを資源と見なさないことはありがたいことだろう。たとえばアメリカ人が一斉にクジラやマグロを大量消費しだしたら大変なことになるのは目に見えている。だから、自分が「鯨の聖獣化」をしない権利を主張するにしても、すべての人に対して「鯨の聖獣化」をしないよう勧めるのは戦略的に間違いだろう。そして、現代の日本人が「鯨の聖獣化」をしない権利を主張すべき根拠は、実のところそんなにないように思われる。

 現代日本人のクジラとの関係を描いた本としては『イルカとぼくらの微妙な関係』が興味深い。また、『環境生態学序説』は、クジラを含む水産資源の持続的な利用のベースとなるロジックを詳しく説明している。

2001/5/17

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