破壊の黙示録

Blown Away

デヴィッド・ウィルツ / 扶桑社 / 98/05/30

★★★★★

ベッカー・シリーズが新境地を開拓

 ベッカー・シリーズの6作目。このシリーズは登場当初は衝撃的だったが、ここ2作ほどマンネリ化してきたという印象があった。しかしこの6作目は驚くほどの転身ぶりで、カール・ハイアセンを思い出させるようなユーモア小説になっている。これにはかなり驚いた。

 もともとこのシリーズは、ベッカーというキャラクターがきわめて奇怪であり、その結果として生じる周囲の人々との間のコンセプション・ギャップが名状しがたいユーモアの原動力となっていた。というよりも、ベッカーのような人物像を造型する小説作法上の目的は、このようなギャップを作り出すことだったのだろう。このギャップと、ベッカーという人物に与えられている「犯罪者との共感の能力」が、ここ2作ほどは重くなる一方で、読むのがつらくなってきていた。もう行きづまりかと思っていたところだったので、この『破壊の黙示録』は嬉しい驚きだった。

 まず第一に、この小説ではベッカーの「犯罪者との共感の能力」が働かない。問題の犯罪者が、ベッカーにも理解できないような新しいカテゴリの人間だからだ。この犯罪者を取り巻くさまざまな人間たちも、これまでのベッカーの世界とは無縁で、ハイアセンの世界の登場人物たちである。こういう世界に放り込まれてしまったベッカーは、犯罪捜査というコンテキストでのいままでの全能性を失い、どちらかといえば理詰めの捜査活動を行わざるをえなくなる。また、このために、(正式に復帰した)FBIの中で部下を率いて捜査を行わなければならず、その部下たちがハイアセンの悪人たちと同じように奇怪なブラウン運動をする。

 ベッカーのキャラクターを犯罪世界に放り込んで、これをシリアスに扱うという方向は、最初の3作ぐらいで行き着くところまで行ってしまっていたのだと思う。だから、この『破壊の黙示録』はベッカーというキャラクターを、中年官僚スパイものみたいな「理性ある人間がランダムな世界に直面する」という文脈で再生したのだということができる。ベッカーが「理性ある人間」になりうるような状況を設定できたことに素直に驚いておこう。

 次の作品がどうなるかがきわめて興味深い。

 この、徹底的に一筋縄でいかないプロットというものを追求したように思える小説の中で、一番意地が悪いのは、最後にマイスナー刑事をあっけなく殺してしまい、ハダット捜査官をベッカーに救出させたところだ。そのユーモアの恐るべきゆがみ具合に戦慄した。

1998/6/14

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