性転換

53歳で女性になった大学教授

Crossing: A Memoir

ディアドラ・N・マクロスキー / 文藝春秋 / 01/05/10

★★★

奇怪な本ではあるが

 著者のディアドラ・N・マクロスキーは、かつてはドナルドと名乗っていた経済学者。1942年生まれで、結婚して一男一女をもうけ、1990年代中頃までは密かに女装を楽しむていどだったのが、インターネットのおかげで広い世界があることを知り、トランスベスタイトやトランスセクシャルの人たちの会合に出かけたりしているうちに、性転換手術を受けたいという気持ちが強まって、ついにそれを実践した。こうした経緯のなかでの自分の体験を綴った回想記である。手術を受けて「女」になってから1、2年以内に書かれているので、著者の気持ちがこの後どう変わるかはわからない。

 インターネットの影響力は大きいということだ。ローカルBBSやインターネットは、どんな分野であれ「奥の深い世界」にアクセスするためのコストを大幅に引き下げた。本書の著者も、インターネットさえなければ、男のまま一生を終えていたかもしれない。

 本書は、性転換やジェンダー・アイデンティティの問題について考える手がかりを与えてくれる興味深い本なのだが、それが必ずしも著者の意図の方向と一致しないという点で、『オブラー博士の危険な患者』と似た印象がある。要するに本書の著者はそうとう自己中心的な嫌な奴なんである。しかし、著者が遭遇したさまざまな困難のことを思うと、現在の(少なくともアメリカの)社会環境では、これぐらい自分勝手な奴でないと性転換に踏み切れないという風に考えるべきなのかもしれない。

 あまり一般化しても仕方がないことだが、トランスセクシャルの人はジェンダー・ロールに関してきわめて保守的な考え方を持っているという言い方がある。本書の著者はまさにそのタイプで、本書に書かれている男性観/女性観は、最近では本気になって主張しているところをめったに見掛けない古めかしいステレオタイプだ。もちろんステレオタイプにはいくばくかの真理も含まれているだろうし、そもそも著者が自らのジェンダーに違和感を感じたのは、その手のステレオタイプを内面化していたからだったのである。本書に描かれている、特に男性性に関する著者の思いを読んでいると、この人が日本で生まれ育っていたならば、ジェンダー・アイデンティティの危機も訪れなかったのではないかと勘繰ってしまう。この人の男性観は、古くはジョン・ウェインを主人公とする西部劇、新しくは攻撃的なビジネスの世界で、女性観についてはモーリン・オハラとかスーザン・ヘイワードのような勝ち気な女性が存在する余地もないというようなものだ(本人はモーリン・オハラとかスーザン・ヘイワードのように勝ち気なのだが)。

 本書でも言及されているデボラ・タネンの弟子であるHaru Yamadaの『Different Games Different Rules』は、ビジネスの現場でのコミュニケーションを研究するにあたって、まさに上記の「攻撃的なビジネスの世界」をフィールドとして選んでいた。そしてアメリカ人と日本人のコミュニケーションのやり方の違いを分析し、日本人のコミュニケーションに、デボラ・タネンの言う女性的なコミュニケーションとの、さらにはアメリカの黒人のコミュニケーションとの類似性を見いだす。そこから考えると、本書の著者は日本人/黒人として生まれていれば、あるいは白人であってもブルーカラー階層に属していたら、また違った感じ方をしていたのかもしれないと思う。

 もう1つ確認したのは、日本という国はこの手の問題(トランスベスタイト、トランスセクシャルなど)に関してやはり寛容な国なのだということ。いやそんなことはない、いまでも多くの人が差別に苦しんでいると言いたい人もいるだろうが、本書の著者は、自分が女性としてパスしなければ、つまりトランスベスタイトとして中途半端な存在のままだったら、外出時に殺されてしまうかもしれないと心配している(これにはレトリックも入っているとは思うが)。

2001/5/31

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