日本人のしつけは衰退したか

「教育する家族」のゆくえ

広田照幸 / 講談社 / 99/04/20

★★★★

まあね

 著者は教育社会学などを専門とする学者。「日本人のしつけは衰退した」という通説に、歴史的な証拠をもって反論するという、「実は違うんですよ」タイプの本。証拠と議論がうまく整理されていないような気がしたが、直観とは整合する結論。簡単にまとめれば、「家庭によるしつけ」は都市型の知識階級/中産階級のものであり、高度成長期にそれが普遍的な価値観となったということ。都会型と田舎型についてはもうちょっと細かい議論があり、時期的変遷についても大正時代まで遡って論じている。

 子供を教育する主体として、コミュニティ、学校、家族が三つ巴の状態になっているという見取り図を提示しているところは、発展させれば面白くなりそうだ。特にプロ教師の会(『なぜ授業は壊れ、学力は低下するのか』)の人々がつねづね言っている、高度経済成長以降の時期の変化(具体的には、コミュニティが弱体化し、家族がしつけを放棄して学校に押しつけつつあると言っている)とどう擦り合わせるかが興味深い。それでわかることなのだけれども、本書の考察がカバーしているのはせいぜい1970年代あるいは1980年代前半までであって、これだけをもとに現在と未来を論じるのは難しい。

 個人的には、「昔は良かった」と単純に言う人には、本書で言っているように勘違いノスタルジーの要素が強くあると思う。ただ、その「昔」の視点を高度経済成長期の都会に置くということには、それなりの正当性があると思う。なんといっても「古き良き昔」の候補としては一番手近である。そして、それは日本人がしばらくの間は取り戻せないユートピアであって、今後もこの時期に対する憧れは増していくのではなかろうか。

 なお、『戦争を記憶する』のように、映画を援用するとすると。高度成長期の初期よりも前に作られた日本映画を見ている人にとっては、高度成長期以前の都会型家族/田舎型家族の対照はごく自明のことに感じられると思う。田舎の父親は粗暴であり、母親は生活に追われて荒んでいるというのがステレオタイプだといっていいと思う。そして、高度成長期の都会型家族を描く映画では、家庭を教育の場にしようとする親(もっぱら父親)は、自分がそのような教育を受けなかったことを回想することが多いように思う。このことからもわかるのだが、本書で展開されているような観念史の研究は、ステレオタイプを取り出すという作業をするわけであり、ステレオタイプから抜け落ちる要素はつねにあるということを忘れてはならない。また、過去についてはステレオタイプを抽出し、現在進行中の事象についてはステレオタイプを相対化するという姿勢は、どこか一貫性を欠く態度であるように感じられてならない。だからどうしろという意見があるわけではないのだが。

2001/6/7

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