日本(イルボン)のイメージ

韓国人の日本観

鄭大均 / 中央公論社 / 1998/10/25

★★★★

興味深い

 『在日韓国人の終焉』が面白かったので、同じ著者の前作を読んでみた。黒木昭雄の『警察はなぜ堕落したのか』もそうだが、オンライン書店がこの手の購買行動のバリアを下げたことはたしかである。

 本書は、副題にあるように「韓国人の日本観」の変遷を紹介する本。大量の、また多様な文章が引用されていて面白い。著者の基本的な立場は、韓国人にとって日本はアンビバレントな愛憎関係にあり、韓国側の事情の変化に伴って、表面化する日本観が変動するというもの。日本論とかアメリカ論を書いて悦に入っている人は、本書を読むと、自分の立脚点を少しは客観的に見つめることができるのではないかと思う。あと、「日本人論論」、つまり「日本人論」をメタで取り上げてそれを相対化する作業そのものが、典型的な「日本人論」と見分けがつかないものになってしまうというケースが多々見られるけれども、本書はそのような罠にははまっていない。

 なお、『在日韓国人の終焉』と同じ路線での政治的主張もなされている。ここでは、日本の「進歩的知識人」の言説が、韓国本国のナショナリズムを醸成、支持し、日本側のパターナリズムを温存するという議論になっている(『在日韓国人の終焉』では在日コリアンをスポイルしているという主張だった)。

 もう1つ興味深い指摘は、日本人の韓国語の能力の限界のせいで、微細なニュアンスを汲み取ることができなくなっている可能性がある、というものだ。ここの部分、外国人の日本語能力の限界という文脈でつねづね考えていることだったので、はっとさせられた。あとがきの234ページより引用。

もう一つ。これは韓国人というよりは日本人の問題であるが、日本に対する肯定的眺めを無視・軽視するという態度は、部分的には語り口に対する無頓着や韓国語の無知に由来するものではないだろうか。「愛と憎悪」であれ「敬意と蔑視」であれ、アンビバラントであるということは、そのいずれかの感情も真性のものであると同時に仮性のものであることを示唆する。しかし、私たちは韓国人がこの両者を語るときの語り口の差異にもう少し敏感であってよい。つまり、韓国人が日本について語る憎悪や不信は常套語的、マンネリズム的、楽観主義的に語られることが多く、そこには切実さというものが欠けている。
愛や敬意の語り口はこの意味できわめて異質である。「愛の日本論」などというと、日本人には甘っちょろい印象を与えるかもしれないが、日本人が隣国への愛を語ることと、韓国人が隣国への愛を語ることの間には大きな差異がある。日本人にとって隣国への愛を語ることは美徳であるが、韓国人にとってのそれは背徳であり、PC(「政治的適性」)にもとる行為である。こうした切実な言説を切実さに欠けた言説と同等に扱うわけにはいかない。肯定的言説を比較的多く取り上げたのはこうした事情によるものである。

 最後の文は、日本に対する肯定的言説を、実際に流通している頻度よりも多く引用していることを指している。おそらく、本書には肯定的言説が不自然なほど多く収録されているのだと思われる。いずれにせよ、日本における「アメリカに関する言説」を、これだけの期間にわたって収集し、1冊の新書に収めたらどんな風になるかを想像すれば、フェアな紹介はもともと不可能であることがわかる。

 なお、著者はこれとは逆の視点から『韓国のイメージ』(1995)という本も書いている。

2001/6/7

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