ノーマ・ジーンとマリリン

Norma Jean & Marilyn

Tim Fywell / Mira Sorvino,Ashley Judd / 1996

★★

着想はいいのに、台なしになっている

 HBO用のTVムービーだが、日本では劇場公開されたようだ。監督のティム・ファイウェルはTVムービーばかり撮っている人。

 ノーマ・ジーン(アシュレイ・ジャド)とマリリン(ミラ・ソルヴィーノ)の二人一役という素晴らしい着想が、アーティスティックな脚本と演出で台なしになっているという感のある映画だった。最初のうちはアシュレイ・ジャドがノーマ・ジーンの役を演じているが、金髪に染め、整形手術を受けた時点でミラ・ソルヴィーノの「マリリン」に入れ代わる。それ以降、ことあるごとにノーマ・ジーンがマリリンのそばに現れて、二人の間で会話が行われるんだが(なんとまあ素晴らしい着想!)、この2人のキャラクターの性格づけがよくわからないので何のためにこんなことしているのかわからないという映画になった。

 そもそもマリリン・モンローについては、死後しばらくしてから、彼女が実はインテリジェントな人間だったという見方が一般的になったわけだけれども、この映画ではそれをさらにひっくり返し、別の言い方をすれば先祖返りをして、単なる薬物中毒の性格破綻者として描いている。これは、ソルヴィーノ演じるマリリンが頭の弱い性格破綻者で、ジャド演じるノーマ・ジーンが意志の強い野心家であるということに対応しているが、この映画の作りからすると、これは「ノーマ・ジーンは整形手術を受けた瞬間に頭が弱くなった」ということを語っているわけで、筋が通らないのである。

 マリリン・モンローに関わったさまざまな人物が登場してきて楽しいんだが、このあたりのことを知らない人には何も面白くないだろうな。J・F・ケネディのために「ハッピー・バースディ」を歌う前の彼女を楽屋に呼びにきた「ピーター」はピーター・ローフォードのことだ、というようなレベルのことがわからない人にとっては、得たいの知れない人間が次から次へと出てくる散漫な映画に見えるだろう。『荒馬と女』で共演したモンゴメリー・クリフトとモーテルの一室でクスリを飲むシーンとか、『お熱いのがお好き』でトニー・カーティスとジャック・レモンが困惑しているところとか、楽屋落ちがいっぱいある。彼女の死を巡る疑惑については、何も語らずに済ませていることに象徴されるように、危ないところは避けている腰の引いた脚本だった。

 ミラ・ソルヴィーノは映画中の歌を自分で歌っているようだが、あまり大したことはない。『リトル・ヴォイス』のジェーン・ホロックスの方が似ていた。途中から出演シーンが減るアシュレイ・ジャドはとても素晴らしく、『コレクター』でも見せていた気の強さが、野心的なノーマ・ジーンにぴったりと合っていた。ヌードになるところも魅力的で、「色っぽくなった」はずのマリリン(ソルヴィーノ)よりもノーマ・ジーン(ジャド)の方が美しいということが、この映画の説得力を削ぐ原因の1つになったとも言えなくもない。

私はマリリン・モンローには相当の思い入れがあるので(陰謀本もずいぶんと読んだ。写真集もいくつも買った)、この映画のコンセプトそのものに大いに不満を感じた。これならば、いっそのこと『マリリンとアインシュタイン』のようなファンタジーの方がはるかに良い。

1999/12/11

 アシュレイ・ジャドもミラ・ソルヴィーノも、別にそれほどマリリン・モンローに似てはいないのだが、「アシュレイ・ジャドとミラ・ソルヴィーノが二人一役をできるほどには似ている」ことに気づいた人は凄いと思う。

1999/12/16

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