アンダーグラウンド

Underground

Emir Kusturica / Miki Manolovic,Mirjana Jokovic,Lazar Rictovsky / 1995

★★★★★

力業で描ききった3時間

 エミール・クストリッツァが、アメリカで『アリゾナ・ドリーム』を撮った後に、ヨーロッパに戻ってユーゴスラヴィアの現代史を題材にして作った作品。1995年だから、『ウェルカム・トゥ・サラエボ』で描かれていたボスニア紛争の後、コソヴォ紛争の前である。

 政治的メタファーを多用して作られた映画で、はっきり言ってわかりません。IMDBのユーザー・コメントでは多数の人が「この映画はバルカン半島の住人でないとわかりません」と言っている。にもかかわらず、この映画は細部が面白く、3時間以上という長い時間がそれほど長く感じられなかった。だから、たぶんこれは傑作なんだろう。でも、これを面白がる日本人は、小渕元首相を「ブッチーかわい〜」とか言っていた女子高生を断固支持しなくてはならんだろうな。

 映画の中でのドイツ語の使われ方、そして最後の方で出現するフランス語。吃音の男がドイツの精神病院に収容されているというエピソード。最後に武器商人となった男がメルツェーデスに乗っていること。ジプシー・ブラスの音楽。それらの意味がすべてまったくわからない。『ユーゴスラヴィア多民族戦争の情報像』では、著者の岩田昌征が、テオ・アンゲロプロスの『ユリシーズの瞳』を取り上げて、そこで語られる言葉の訛りに政治的偏見が入っていると批判していたが、このセルビア人寄りと思われる映画で訛りがどうなっていたのか、まるっきりわからない。そういうことがわかったところで別に嬉しくもないのはそうなんだけど。

 最近、この「わからなさ」は相当深刻なことなんだと痛感している。日本に住んでいる外国人で、テレビ番組を見て内容を理解できるような人たちが、「ニュース・ステーション」の久米宏が右翼反動の人だと思いこんでいることを知ってしまったのだ。このケースから、久米宏のテレビ番組での振る舞いが、日本人が共有している暗黙知に大きく依存したものであるということ、またたとえばアジア一帯に日本発の番組が配信されるとしたら、そのキャスターに久米宏は起用するべきではないということがよくわかった。それと同じことで、この『アンダーグラウンド』も中欧以外の国に配給するのには無理があるんじゃないか。

 つまり、映画として非常に面白くてよくできているのに、特定文化固有のメッセージで汚染されているのがもったいないのだ。なんとまあ、文化の多様性を抑圧しようとする反動的な見解だろうか。しかし、セルビア語を勉強する余裕のない私にとっては仕方がないことなのだ。せめて政治的メタファーの使用頻度を抑えてくれたら安心して見られるんだが、それそのものが主題であるこの映画にそんなことを求めても無理なことではあるわけで。

2000/5/9

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