ラリー・フリント

People vs. Larry Flint, The

Milos Forman / Woody Harrelson,Courtney Love,Edward Norton / 1996

意図はいたいほどわかるんだけど、退屈で面白くない

 ミロシュ・フォアマン監督で、「ハスラー」誌のラリー・フリントの生涯(といってもまだ生きてるはずだが)を描いた社会派映画。コートニー・ラヴが体当たり演技をしたことで有名になった。

 フォアマンがこのような映画を撮るということの意味は物凄くよくわかるんだけど、やっぱりこれはオリヴァー・ストーン製作の映画と理解しなきゃならないようだ。そもそも、ラリー・フリントという人物のあり方も人生も複雑すぎて、このような短い映画にパッケージ化することが不可能なのかもしれないが、とにかく焦点がぼやけたわけのわからない話になっている。

 いろいろと問題はあるけれども、やっぱり一番の問題は、この映画が(性的に)上品すぎるということにあると思う。この映画を見ただけで、「ハスラー」誌がなぜ社会からあれほどの圧力を受けたのか、また、名誉毀損裁判の連邦最高裁判決がどれほどの意味を持っているかがわかるだろうか。物語の背景を知らずに見れば、「ハスラー」誌の編集会議はまるで経理ソフトウェアを作っているベンチャー・ソフトウェア会社のそれに見えかねないし、成り上がったラリー・フリントの振る舞いはおとなしめのロック・スターのそれである。この映画では「ハスラー」誌に象徴される性革命のインパクトが説得力をもって描かれていない。それへの参加者たちがどれだけそれを楽しんだかということも含めて。

 もしかしたら、アメリカではそのようなことを描く必要がないのかもしれない。あるいは、現在の保守化したアメリカでは、このような解釈が標準的なのかもしれない(麻薬中毒というテーマに力点が置かれていることは、そのような事情を示唆しているのかもしれない)。

 コートニー・ラヴはジャンキー役を演じて秀逸。さすが本物は違うと思ったが、彼女が熱演すればするほど、映画が麻薬濫用告発映画のようになってしまうという悲しい状況があった。あと、たぶんこれはいろんなサークルで禁句になっていることだと思うが、ラリー・フリントが彼女を妻として選ぶという点にストーリー上の無理を感じた。

 ラリー・フリント裁判の意義については、『報道被害者と報道の自由』にかなり詳しい解説がある。映画の中でのこの裁判の描き方には大いに不満を感じた。

1999/10/21

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