ファイナル・デスティネーション

Final Destination

James Wong / Devon Sawa / 2000

★★

企画倒れか

 監督のジェームズ・ウォンは『Xファイル』の脚本家。本作は監督第1作。

 『スクリーム』はスラッシャー/スプラッター映画のパロディだったが、こちらは『オーメン』などのオカルト・スプラッター映画のパロディ。この種の映画の、「誰がいつどのように死ぬか」というロジックを純粋に取り出せるような設定を作るという試みである。ちょっと頭脳先行型でうまく映像になっていないが、後半になるとロジックそのものが破綻をきたしていた。「誰がいつどのように死ぬか」というルールを明らかにした以降、観客の期待を「さらに」裏切るような脚本が書けなかったということだろうと思われる。TVの脚本家の限界ということだろうか。

 この映画、最初の30分ぐらいはけっこうよくて、TVシリーズの1エピソードとしては上質な部類に入りそうなのだ。実際、この「エピソード1」で映画が終わっていたら、けっこういい気分で劇場を後にすることができただろう。その後、映画はオカルト・スプラッター映画のパロディの段階に入り(エピソード2)、この手の映画の手法を(『スクリーム』と同じように)露悪的な感じでひねりなしに使い、人を一人ずつ殺していく。この部分は笑って見ていられる、意図的な予定調和の進行だ。しかし、ルールが提示されてからの、本格的なひねりの入る段階(エピソード3)が、単なるバカ・ティーンエージャー映画になってしまうのである。

 主人公はデヴォン・サワ。『アイドル・ハンズ』での行動の方がまだ頭が良く見えたという悲惨な活動をさせられている。ヒロインのアリ・ラーターは、『TATARI タタリ』の人だ。なんてこともなし。その他、殺されていく人々に現実感なし。

 以下、ネタバレなので、見ていない人は読まないように。

 上記の「エピソード2」と「エピソード3」の違いは、『オーメン』と『13日の金曜日』の違いである。『オーメン』に代表される、超自然的な力によって人が殺されていく映画では、人間は(やはり超自然的な力によらない限り)死を回避することはできない。このため、映画の焦点は「誰がいつどのように死ぬか」という点にのみ置かれる。一方、『13日の金曜日』に代表される、殺人者が人を殺してまわる映画では、人がどのように死を回避しうるか、という点に焦点がシフトする。そして、『スクリーム』は、この手の映画に出てくる人々が、わざわざ死を望むような行動に出がちであることを笑うパロディとして作られていたわけだが、この『ファイナル・デスティネーション』では、「エピソード3」に入った段階で、まさに『スクリーム』で嘲りの対象となったタイプの映画(Roger Ebertの表現を借りればDead Teenager Movie)になってしまっている。

 この部分では、ルールを理解した上で行われる合理的な反撃が描かれなくてはならない。そして、そのルールを完全に把握しきれていないがゆえの失敗を通しての学習プロセスがなくてはならない。この点でそこそこ工夫していたのが『悪魔を憐れむ歌』。「悪魔との契約を反故にする努力」という1つのストーリー原型だ。本作では、「エピソード2」で描かれる死に意外性があったのに対し(「誰がいつどのように死ぬか」の「誰が」の部分は明らかだとしても、「いつどのように死ぬか」という点でのテンションとサプライズが用意されており、それがそこそこ成功している)、「エピソード3」で描かれる死についてはほとんど驚きがない(こんなダメな脚本で通すつもりなのか! という驚きはあるが)。

2001/2/2

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