サイダーハウス・ルール

Cider House Rules,The

Lasse Hallstrom / Tobey Maguire,Charlize Theron,Michael Caine,Delroy Lindo,Kieran Culkin,Jane Alexander,Kathy Baker / 1999

★★★

ストーリーを追いかけるのに手一杯か?

 ラッセ・ハルストレム監督。ジョン・アーヴィングの原作の映画化。標準的な文芸映画の作りで、これと言った欠点もないのだけれども、これと言って突き抜けるところもない。淡々とした描写という感じでもなく、むしろドラマチックな指向を持っているので、「ストーリーを追うのに精一杯」という印象を受けた。

 ただし、主人公のトビー・マガイアと、彼が生まれて育った孤児院の描写はよい。彼が外の世界に出る部分をぜんぶなくして、あの中で進展するドラマのみを淡々と描けばよかったのにと思うぐらいのポテンシャルがある。院長のマイケル・ケインが鬼気迫る名演を見せ、看護婦のジェーン・アレクサンダーとキャシー・ベイカーが理想像といっていいぐらいのいい人を演じる。『マイ・フレンド・メモリー』で恐るべき演技を見せたキーラン・カルキンが、出番が少ないものの、孤児院に取り残される「バスター」の役でやはり強い印象を残しているが、彼だけでなく子役全般がとてもよい。雪合戦をやるシーンと、シャリーズ・セロンがやってきたときのみんなの興奮ぐあいなどは名場面と言うべきだし、「映画を見る」場面は、この手の場面が陥りがちな過度な意味づけを排して実にうまくできている。ごく短い場面だが、ヘイゼルという女の子が貰われていくシーケンスは実に感動的(ちなみにヘイゼルを演じていたのはSkye McCole Bartusiakという人。今後注目)。

 それだけに、トビー・マガイアが見る外の世界の魅力のなさを不満に感じる。たとえばマガイアが黒人の季節労働者たちに混ざってリンゴを摘むシーンが、孤児院の雪合戦よりも魅力的に見えるかどうかということだ。映画のストーリー上は、マガイアが孤児院に戻るという選択を「しない」ことから、こちらの方が魅力的であるということが「理屈として納得できる」ということになっているが、映像としてはどうもそういう感じがしない。外の世界にある、唯一のはっきりとした魅力はシャリーズ・セロンだが、え〜なんというか、描き方が淡白。性的な描写を多くしろという話じゃなく、「外の世界」としての魅力を体現していないという点での不満がある。

 リンゴ摘みの親玉のデルロイ・リンドーはリキが入っている。その娘のエリカ・バドゥは思わぬ収穫で、『ブルース・ブラザーズ2000』に続けての2回目の映画出演とは思えない堂々たる存在感だ。ただ、映画の成り立ちからして、「それがどうした」という感じになってしまうことは否めない。

 まあそんなこんなのせいで、この映画は製作者が意図していたであろうような「閉鎖的なコミュニティで育った若者が、外の世界に出て新しい事柄を学び、新たな責任感を身に着けて自分のやるべき仕事に戻る」というような成長物語よりも、「一流の銀行や商社に武者修行に出ていた御曹司が、父親が死んだので、自分の一族の会社に戻って次期社長に就任した」という話に見える。この印象を払拭するためには、孤児院をもうちょっと魅力なく描く(そうすると陰鬱な映画になりそう)か、外の世界を魅力的に描く(すると社会的・政治的なメッセージ性が薄くなる)か、小細工ではあるけれども、最後のところでシャリーズ・セロンに「私と孤児院のどちらを選ぶの?」というような迫らせ方をするべきだった、だろうか? とにかくあらゆる要素が孤児院への帰還を指し示しているような状況はまずい。いわゆるドラマ作法上の"conflict"がこれっぽちもないわけなんで。

 もう1つの方法は、主人公のトビー・マガイアを別の役者に替えるというものだ。たとえば、この役をマット・デモンが演じていたら、ダメ男の苦闘という感じがちゃんと出ていただろう(手術のシーンが果てしなくホラー映画に近くなっていた可能性があるが)。男2人と女1人という関係から『リプリー』を思い出したのだが、この映画ではどうしてもトビー・マガイアの方がジュード・ロウっぽく見える。これは逆でなくてはならないし、シャリーズ・セロンは本来はグウィネス・パルトローのようにバカっぽくなくてはならない。こうやって書いていてだんだんとわかってきたんだけど、この映画はストーリー上の役割を無視して「きれいどころを揃える」という安易なキャスティングをした可能性があるな。

2001/4/3

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