ブギーナイツ

Boogie Nights

Paul Thomas Anderson / Mark Wahlberg,Burt Reynolds,Julianne Moore,Heather Graham,John C. Reilly,William H. Macy,Don Cheadle,Thomas Jane,Philip Baker Hall / 1997

うっとうしい

 ポール・トーマス・アンダーソン監督。『マグノリア』の前のメジャー2本目。

 『マグノリア』は最悪な映画だったが、こちらも基本的には同じ。鬱陶しい音楽と鬱陶しい演出。かろうじてマシなのは、主演のマーク・ウォールバーグが大根なので力演しても限度があること、映画製作者のバート・レイノルズがいちおうクールであること(バート・レイノルズに大声を上げて泣かせるだけの根性はなかったようだ)、チンピラ役のトーマス・ジェーンが最後の場面を除けばクールであること、フィリップ・ベイカー・ホールがクールであること(出番が少ないだけだが)、そしてヘザー・グレアムのヌードがあること(ただしちょっとだけなので、欲求不満が残る)。

 1970年代末、ビデオに市場を奪われる寸前のポルノ映画業界に飛び込んだ熱血青年のストーリー。思えば『マグノリア』は、この映画の後半、つまり1983年頃の、バート・レイノルズを除く登場人物全員がドツボにはまった時期だけを取り出したような映画だった。こちらの方は栄光の日々とそこからの凋落を描いているので、説教臭がそれだけ強く、「ポルノ業界から足を洗えた人はよかったですね」という話になっている。ポルノ業界ではないが、ほぼ同じ時期のディスコを描いた『54 フィフティ・フォー』『ラスト・デイズ・オブ・ディスコ』は、やはり80年代に入ってからの凋落と、それに関わった人々の変化をテーマとしているが、この2本が基本的には「いろいろ大変だったけど、あれも一つの時代だったなあ」という作りをしているのに対し、本作は完全に「やめてよかった」である。マーク・ウォールバーグとバート・レイノルズの主要キャラクター2人がポルノ・ビデオ業界に残るにもかかわらず、そういう印象が生じるのは奇妙な感じがするが。

 その割りには、なぜ「やめてよかった」のかが分からない。それは遡って、この映画の前半で描かれているポルノ業界の栄光の日々に説得力がないことに起因しているのだと思う。率直に言って、この映画の前半は「クレイジーだが魅力的な世界」を描いているはずなのに、クレイジーさも魅力も感じられない。たとえばマーク・ウォールバーグが初めてジュリアン・ムーアと絡むシーンから始まって、この映画の映画撮影現場のシーンに何らかの魅力と熱気が感じられたことが一瞬たりともあっただろうか。「ローラーガール」のヘザー・グレアムは人気女優であるという設定なのに、その根拠がまったく提示されないまま、後半の反省シーンに入ってしまう。

 そういうわけだから、かろうじて成立していたかもしれない「フィルムからビデオの移行の犠牲となったアーティストの不幸」というモチーフにも、何の説得力もなくなる。ヘザー・グレアムがタクシーに乗って行うドキュメンタリー風撮影が、彼女にとっての「落ちぶれた境遇」であるということを示すためには、それよりも前に、その絶頂期が示されていなくてはならない。しかし、そういう配慮を一切しないポール・トーマス・アンダーソンであるから、「落ちぶれた境遇」という記号の露骨な提示を繰り返し行うだけなのである。これはマーク・ウォールバーグについてもジュリアン・ムーアについても同じだが、ジョン・C・ライリーとドン・チードルで特に甚だしい。

 そういうわけで嫌な映画だった。にっかつロマンポルノは日本の誇りであると改めて思ったことだった(といいながら1980年代中頃からまったく見ていないんだが)。あのころは、ロマンポルノや独立系ピンクの「鬱陶しさ」がないことが洋ピンのアドバンテージだったわけで、そのアドバンテージの部分をポジティブに描いてくれていたら、この映画も何とか見られるものになっていたのかもしれない。しかしポール・トーマス・アンダーソンは、アメリカにロマンポルノがなかったことを嘆くことに終始しているように見える、というかそういうものの存在を知らないだろうけどさ。

2001/5/23

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