A.I.

A.I. Artificial Intelligence

Steven Spielberg / Haley Joel Osment,Jude Law,Frances O'Connor,Sam Robards,Brendan Gleeson,William Hurt / 2001

醜悪の一言につきる

 スティーヴン・スピルバーグ監督。ブライアン・オールディースの原作をもとに、スタンリー・キューブリックが温めていた企画を映画化したもの。とにかく気分が悪くなる映画だった。

 いろいろと書いたのだが、間違えて消してしまい、再び書く気力がないので要点だけ。

 これは「ピノキオ」というよりも「フランケンシュタイン」で、怪物は自分の創造者ではなく、自分のレプリカと、愛をインプットした主体である母親を殺すわけですな。エンディングは、強く抱きしめすぎて人間を窒息死させてしまったロボットとか、遊びのつもりで噛んで飼い主を失血死させてしまったライオンとか、与えられたナイフで親を刺し殺してしまった精神病者とか、そういうタイプの話。

 なぜ母親を殺したかというと、(1) 頭が悪いからそのことに気づかない、(2) 彼にインプットされた「愛」はそういう類のものだった、の2つの可能性がある。前者の気配は濃厚だが(なんせ「ブルー・フェアリーに会っても生身の人間にはなれない」、「物を食うと回路が壊れる」(なぜ食道があるのか? 水の中は大丈夫なのか?)、「人間は水の中では溺れる」などの知識がなく、知識ベースに接続する手段も持たないスタンドアロンのロボットだから)、後者の可能性の方がもっと陰鬱ではある。なお、遠未来においては人間とロボットの関係が逆転していて、それとともに倫理の問題も逆転している。要するに母親は、不要になったロボットが廃棄されるのと同じように、デイヴィッドのために廃棄されたわけだ。ロボットの世界では、そのことは倫理上の問題にはならない。

 この話をもっと陰鬱にしたいのなら、人間の「魂」だか「精神」だかが1回の再生で消滅するという設定をやめて、デイヴィッドと母親が永遠にあの1日を繰り返す、という風にすればよかった。母親は、朝起きて、デイヴィッドと一緒に過ごし、夜に死ぬという一日を永遠に繰り返すという時の牢獄に閉じ込められる。毎日朝にリブートされるわけ。これもすべて、デイヴィッドに愛をインプットしたことに対する罰である。そこまで行かなくても、本作のエンディングは、母親の立場から見れば十分に恐ろしい罰ではある。

 「フランケンシュタイン」とは、プロトタイプの悲劇という類型でも一致している。デイヴィッドがプロトタイプとなった新型ロボットは、発売後、サポート・センターへの苦情が殺到して、バージョン・アップを余儀なくされただろう。危なくて家庭に置いておけない。あと、マシン全体を廃棄しなくても、AIBOのようにメモリ・カードの交換で、「愛の対象」を切り替えられるようになることは間違いないと思う。このプロトタイプの本質的な欠陥は、おそらく、「子供のように振る舞うロボット」ではなく「子供のような知識/知能レベルしか持たないロボット」に「愛」を埋め込んだところにある。もっと言えば、「子供のような知識/知能レベルしか持たないロボット」は、「愛」を埋め込むかどうかに関係なく、家庭に置くには危険すぎる。愛があるかどうかにかかわらず、プールでの事故は起こり得たわけで。

2001/9/1

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