リトル・ダンサー

Billy Elliot

Stephen Daldry / Jamie Bell,Julie Walters,Gary Lewis,Adam Cooper / 2000

★★

欲求不満が残る

 監督のスティーヴン・ダルドリーはこれが長篇第一作とのこと。英国炭坑町ものにバレエを組み合わせた映画。かつて英国映画といえば美しかったりインテリジェントだったりしたものだが、いまや有能な英国人はみんなアメリカで映画を作るようになってしまったということなんだろう。その代わりにオーストラリア映画の格が上がってきているような気がする今日このごろ。

 本作は基本がなってない映画だった。1980年代半ばの炭坑町で、少年がクラシカル・バレエに惹かれる。少女がボクシングに惹かれる『ガールファイト』との鏡像関係にあるが、テーマの問題以前に、脚本、撮影、照明、編集などのあらゆる側面で地力に格段の差があって比べ物にならない。グローバルな世界になって、作品は世界のどこでも見られるけれども、スキル・プールはローカルであるということを痛切に感じた。

 そういう基本的な話以外で一番重大な問題は、ジェイミー・ベル演じる主人公のビリー・エリオットの踊りの使い方である。なぜこの人がタップを踊れるのか。ロイヤル・バレエ団のオーディションを受けるまでの(おそらく)一年以上、バレエ教師のジュリー・ウォルターズの指導を受けていなかったてのは、ほんとうにそれでいいのか。などなど、疑問は山ほどあるけれども、一番やばいのは、オーディションに合格した理由が(おそらくは)彼の踊りではなく言葉であるという設定だ。シンガーやダンサーなどのパフォーミング・アーティストの成長を描く映画では、歌や踊りの使い方にそうとう意識的でなくてはならないが、本作は『コヨーテ・アグリー』と同じぐらい何も考えていない。そして『コヨーテ・アグリー』の場合、主人公のパイパー・ペラーボの歌はそこそこ良かったけれども、本作のジェイミー・ベルはぜんぜんダメである。

 ジェイミー・ベルの踊りそのものがぜんぜん良くないというわけではない。ただ、その撮り方がMTVっぽくて興醒めだし、彼のクラシカルなバレエとリバーダンス的タップの混じった踊りがどのように形成されたのかがまったく説明されていないのは致命的。また、たとえば友人にチュチュを着せて一緒に踊る場面が本作で最も美しいシーンになりえたかもしれない、ということを作者はまったくわかっていないだろう。このような、題材と出演者の才能をなめた映画の作り方は本当に腹が立つ。最近の英国映画でいえば、『リトル・ヴォイス』とか『ブラス』などもそんな感じだった(『フル・モンティ』は良い)。

 映画のオチは、「バレエを踊るからっていってオカマだとは限らないんだ!」と強く主張していた少年が、案の定オカマになっていたというもの。あの父親と兄は、『白鳥の湖』のアダム・クーパーを見て、たぶん落ち込むと思うよ。ビデオで見たことあるけど、いちおうopen-mindedな積もりの私もさすがにあれには引いたもの。ただし群舞はいいんです。トロカデロ・デ・モンテカルロもそうなんだけれども、クラシカルなバレエの女性の群舞を男性が踊ると、女性が踊るよりもはるかに美しいことがある。なおアダム・クーパーは何かをライブで見た記憶があるけれども、平凡だったような気がする。

 まあいずれにせよ、映画の最後の部分で、主人公がバレエ教師のそこそこ可愛い娘になびかなかった理由がわかるという仕掛けになっている。それよりも前に、父親は、息子がチェチェを着た友人と一緒に踊っているところを目撃してしまったときに、自分の息子が同性愛者であるということを認識して受け入れた、という設定になっているのだろう。彼が息子をロンドンに送り出そうと必死になったのは、たぶん田舎町では同性愛者は生きにくいという判断があったからである。この点に、主人公があくまでヘテロセクシャルである『ガールファイト』とのテーマ上の最大の違いがあり、こちらの方は本質的に性役割固定的であると言える。というのも、この映画は「バレエはsissyがやるものだ」という、父親と兄の当初の直感的判断を肯定しているからだ。これは同時に、「バレエは繊細なものであり、同性愛者は繊細であり、炭坑町の住人は繊細でない」というステレオタイプを強化している。そう考えていくと、『ガールファイト』のシナリオがどれほど巧妙にリベラルであったかがよくわかる。たとえば、あの映画のミシェル・ロドリゲスが演じる主人公が同性愛者として設定されていたら、どんなにつまらない話になっていただろうか。

 念のために書いておくが、私はヘテロセクシャルの男であるが、ホモフォビアではないと思うし、ホモフォビア的な観点からこの映画に腹を立てているわけではない。その逆に、この映画が示唆する性役割の固定に腹を立てているのだ。さらに、バレエというものを、未来のない田舎町に住む同性愛の少年が抱える問題という社会派的テーマを描くための道具として使ったことに腹を立てている。道具としてしか認識していないから、踊りを美しく説得力あるものとして撮ろうと努力していないのだと思う。

2001/12/3

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