タップ・ドッグス

Bootmen

Dein Perry / Adam Garcia,Sophie Lee / 2000

ダメ

 舞台の『タップ・ドッグス』を作ったデイン・ペリーが監督した自伝的な映画。原題は"Bootmen"である。今後『タップ・ドッグス』が"Tap Dogs"というタイトルで映画化されたらどうするつもりなのだろう?

 舞台の『タップ・ドッグス』は若い男たちがラフな恰好でタップを踊る演目で、この映画に描かれているようなブルーカラー的なモチーフを取り入れて話題を呼び、世界的にヒットした。私はこれの日本公演を見に行ったのだが、はっきり言って面白くなかった。本作には、シドニーに行った主人公がオーソドックスなタップの演目でラインダンサーをやるシーンがあるが、この演目の方が主人公がニューカッスルに戻って行った演目よりも見応えがあるように思えないだろうか? 前衛的なもの、ポップなものは、伝統的なものよりもつまらないことが少なくないということについては『センターステージ』の項で詳しく説明しているので参照していただきたいのだが、それと同じことがこの「新しいタップ」にも起こっている。

 本作は『センターステージ』と同様に、「古い型の決まったものは面白くなく、新しい自由なものは面白い」という明確なメッセージを語っている。舞台の『タップ・ドッグス』の新しさは、シルクハットとステッキをヘルメットと工具に置き換え、タップ・ダンスの打楽器音楽としての部分で、靴を打ちつける物体に現代的なバリエーションを持たせ、複数のダンサーの動きを統一せず、より「自由」な「個性」を見せるという点にある。しかしタップを含むダンスの世界ではこれらは別に新しい発想ではなく、個々の時代に開発された新しい発想が、次の時代には古く見えるというプロセスが繰り返され、現在の地点から見ると過去には古いものがばかりが見えるということに過ぎない。つまり、「革新的な踊り」という発想は昔からあるのであり、それ自体は革新的というよりも伝統的なのである。個々の時代の「革新的試み」は、あくまでも踊り自体のクオリティによって判断されなくてはならない。

 舞台の『タップ・ドッグス』で致命的だったのは、各人が「自由」に踊った結果が、きれいに揃ったラインダンスよりも面白いというようなものではなかったことである。これは逆に、そのような踊りを面白く見せようとするコレオグラフィー上の工夫がなされていないと言うべきなのかもしれない。この映画でも同じ症状が表れており、個々人が練習をしている場面の方が、ラストのクライマックスの演目よりも面白い。もう1つ、舞台ではダンサーたちの技術がそれほど高くないことに驚いたのだが(1人だけ、背が低い人が上手だった)、この映画では編集によってごまかしている。

 映画としての本作は、ドラマの部分が見るに耐えない駄作である。肝心のタップのシーンは、MTV風の編集をしているところが多くてぜんぜんダメ。タップ・ダンスの足元を映すのは無意味であるということをまったくわかっていない。舞台を見たときから、製作者は頭が悪そうだと思っていたけれども、それを完全に再確認することができた。主演のアダム・ガルシアは『コヨーテ・アグリー』で主人公の女性の恋人を演じていた人。

2002/2/9

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