ジーア/裸のスーパーモデル

Gia

Michael Cristofer / Angelina Jolie,Elizabeth Mitchell,Faye Dunaway / 1998

★★★

体当たり演技が空回り

 HBOのTVムービー。ビデオ化タイトルは『ジア/裸のスーパーモデル』となっている。監督・脚本のマイケル・クリストファーは脚本家出身で、監督はこれが1作目。脚本家としての仕事には『恋におちて』(1984)、『イーストウィックの魔女たち』(1987)、『虚栄のかがり火』(1990)、『心のままに』(1993)などがある。「おぉっ」と思うかもしれないが、そこで「ちょっと待てよ」と思うのが実は正しい。

 70年代末に活躍した、セクシュアリティを前面に押し出すスタイルの先駆けとなったことで知られるモデルGia Carangiの伝記映画。主演のアンジェリーナ・ジョリーは本作の「体当たり演技」によって広く注目された。たしかに頑張っていることは認めざるをえないのだが、賞狙いである。

 本作は、実際に生きて死んだ主人公ジアの伝記映画の形式をとっており、生前の彼女を知っていた人々がカメラに向かって自分と彼女の関係を話すショットが随所に挿入されるのだが、その関係者たちは映画のドラマの部分でその役を演じている役者なのである。この手法を「メタ・ノンフィクション」とか呼んで賞賛することは論理的に可能かもしれないが、私はやはりこれは間違っていると思った。物語の語り手が、どのレベルに自らを置いて語っているのかが不明瞭になり、語られる物語に対する不信の気持ちを落ち着かせる場所がなくなるのである。普通の伝記映画で、生きている人が死んでいる人について語るとき、われわれは生者の証言をそのまま鵜呑みにはしない。その生者はその死者についてそういうことを語るような関係にあった、と理解する。その部分は間違いなく(ヤラセの要素もあるであるにせよ)「ノンフィクション」で、死者の行動の再現の部分の「フィクション」をサポートする役割を果たすことになる。一方、この映画では生者の証言がフィクションであり、語られる対象が実話をベースにしているという倒錯的な関係になっている。

 実験的な試みと言えるかもしれないが、私には効果がなく、再現の部分での力量のなさを、すべてが終わった時点で振り返る生者の「後知恵」によって誤魔化しているという印象が残った。特に本作には、ジアの周囲の人々(つまり彼女についての思い出を語る証人たち)が、彼女の思いを十分に受け止めることができなかったというテーマを、証人たちの無責任な証言によってあぶり出すという意図があったものと思われる。しかし、この「無責任な証言」がフィクションであるとすれば、そのテーマにどれほどの信頼が置けるだろうか?

 全般的にMTV的に不自然な編集と映像効果が鬱陶しい。

 なお、アンジェリーナ・ジョリーの恋人を演じるエリザベス・ミッチェル(『オーロラの彼方へ』)が素晴らしい。この人は『ベティ・サイズモア』にも、ソープの出演者の役で出ているようだ。本作では「体当たり演技」が往々に陥りがちのアンジェリーナ・ジョリーのステレオタイプの演技をつなぎとめる碇のような役割を見事に果たしており、『17歳のカルテ』にはこういう人が必要だったのだと改めて思った。なお、フェイ・ダナウェイがモデルのエージェントの役で出演している。

2002/4/21

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