お勧め映画、第5回、日活プログラム・ピクチャー篇

 第5回の「お勧め映画」は、1950年代末から1970年代初めまでの日活プログラム・ピクチャー篇です。これまでの「お勧め映画」と同様に、有名なものは見たことがあるが、次の一歩を踏み出すための、マニアックでない指針が欲しいという人を対象とします。

 このジャンルに限らず日本映画全般について言えることですが、ビデオ化されて販売が続けられている映画が相対的に少ない一方、ものによってはフィルムのプリントが流通しているし、映画専門のTV局は(枠を埋めるために)大量の日本映画を放映しているので、多くの映画に「偶然に見ることができる」チャンスが存在します。

 今回は、代表的な映画監督を選び、その代表作を一本だけ選ぶという構成です。

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舛田利雄: 『紅の流れ星』(1967) ★★★★★
渡哲也、浅丘ルリ子、松尾嘉代、藤竜也、杉良太郎、奥村チヨ、宍戸錠

舛田利雄は日活以降は一本たりともまともな映画を作っていないと言っても過言ではない人ですが、日活時代の作品のクオリティも安定しているとはいえません。石原裕次郎のキャリアの中で重要な作品をいくつか手がけており、それらは「そこそこよく出来ているが標準的」という意味で裕次郎映画のベンチマークと言うことができます。しかしこの人は、1960年代の後半あたりに「覚醒した」(見方によっては「血迷った」)時期があるようで、この『紅の流れ星』はその時期の代表作です。これは石原裕次郎主演の『赤い波止場』(1958)を、渡哲也を主演に据えて自らリメイクした作品で、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、ジャン・ギャバン主演の『望郷』(1937)をモチーフとし、それにフランスのヌーベルバーグを注入したという感じ。『赤い波止場』と『紅の流れ星』の差はそのまま主演男優の役者としての資質の違いを反映していると言ってよく、一言でいえば渡哲也の方がモダンであり、したがって実験的な作品に多く起用されています(もちろん活躍した時期のずれも大きいのでしょうが)。

この映画は、この時期の日本を代表するフィルム・ノワールとして世界に出してもまったく恥ずかしくない傑作で、渡哲也、藤竜也、宍戸錠が異常にかっこよいのですが、一番衝撃的なのは松尾嘉代。アクション映画のヒロインとして控え目な役を演じることが多かった彼女がキャピキャピな演技を見せています。なお、リー・リンチェイ主演の『ブラックマスク』の作者は絶対にこの映画を見て、下敷きにしていると思います。

舛田利雄のこの時期の良い作品には、『無頼より・大幹部』(1968)、『わが命の唄・艶歌』(1968)、『大幹部・殴り込み』(1969)などがあります。一方、この時期以前と以降には、有名ではあるが実体は大したことのない映画が山ほどあります。『わが命の唄・艶歌』を見ると、演歌嫌いの人もしばらくの間、演歌を聴いてみたくなるかも。『大幹部』シリーズはニューアクション系統のヤクザ映画への布石。

鈴木清順: 『河内カルメン』(1966) ★★★★★
野川由美子、伊藤るり子、宮城千賀子、日野道夫、和田浩治、佐野浅夫、川地民夫、野呂圭介、嵯峨善兵、松尾嘉代

鈴木清順は、初期の頃は普通の映画を撮っており(この辺りは私もずいぶんと見逃しています)、「清順的」な映像が前面に出てくるのは日活でのキャリアの最後の3、4年だけです。一般には『探偵事務所23・くたばれ悪党ども』(1963)とそれに続く『野獣の青春』(1963)で全面開花したと言われるようですが、実際このあとには『悪太郎』(1963)、『関東無宿』(1963)、『花と怒濤』(1964)、『肉体の門』(1964)、『俺たちの血が許さない』(1964)、『春婦伝』(1965)、『悪太郎伝・悪い星の下でも』(1965)、『刺青一代』(1965)、『河内カルメン』(1966)、『東京流れ者』(1966)、『けんかえれじい』(1966)、『殺しの烙印』(1967)と続きます。こうやって並べるとわかるように、『野獣の青春』のあとでも「本当に異常」なのはそれほど多くないのです。

その中で、この『河内カルメン』は、そこそこ異常だが、悪いタイプのハードボイルドな演出に頼らずに映像の濃密さを追求した準異常な作品としてきれいなバランスが取れているように感じられ、一番好きです。『東京流れ者』や『殺しの烙印』まで行くと「日本映画の没落の責任の一端はここにある!」などと叫びたくなりますが、『河内カルメン』ならばOKでしょう。この映画の野川由美子は十分に「大衆娯楽」をカバーできていると思います。2番目に好きなのは『野獣の青春』。

『野獣の青春』以降の作品は日活以降の作品も含めていずれも見る価値がありますが(ただし清順調だけを期待すると退屈なものもあるんで注意)、初期の川地民夫主演の『すべてが狂ってる』(1960)は手堅くヌーベルバーグ的な映画に仕上げられていて面白いです。

中平康: 『あいつと私』(1961) ★★★★★
石原裕次郎、芦川いづみ、吉永小百合、轟夕起子、渡辺美佐子、宮口精ニ

中平康は、デビュー作の『狂った果実』(1956)、フランキー堺主演のスラップスティック・コメディ『牛乳屋フランキー』(1956)、こりゃもう何も言えませんという感じの『月曜日のユカ』(1964)などで有名で、日活のメインストリームからはちょっと外れた新鮮な感覚を持った映画監督という風に位置づけられていましたが、『月曜日のユカ』以降は企画に恵まれなかったようです。そして『牛乳屋フランキー』と『月曜日のユカ』の間に、まあ普通といえば普通だが、どこかがちょっとだけ違うという感じの青春映画とアクション映画がいくつかあります。『学生野郎と娘たち』(1960)、『若くて悪くて凄いこいつら』(1962)、『危いことなら銭になる』(1962)、『泥だらけの純情』(1963)、『俺の背中に陽が当る』(1963)などがそれに相当しますが、その中でとりわけ優れていて面白いのがこの『あいつと私』です。

石坂洋次郎の原作を映画化したもので、戦後リベラリズムの観念が先走りする「日活戦後民主主義青春映画」の代表作。この時期の石原裕次郎と芦川いづみは文句なしのトップスターで、日活にとっては目玉商品だったと思われます。それゆえに、あまり先走りせずに、大衆的であり、かつおしゃれな映画にするという配慮が見られるような感じがします。このおしゃれさは、他の時期や他の映画会社にはなかなか見られない独特な性質だと思いますが、日活青春映画の中でも異色です。

私はこの映画が芦川いづみのベストの1つだと思っていますが、それ以外にも松原智恵子と笹森礼子が何か驚いてしまうような美しさを発散しています。この映画が描いているような世界は、日本において一度も実現したことがなかったんだということも含めて、戦後民主主義青春映画の最高峰として味わうべき快作です。

蔵原惟繕: 『硝子のジョニー・野獣のように見えて』(1962) ★★★★★
宍戸錠、アイ・ジョージ、芦川いづみ、平田大三郎、南田洋子、松本典子

蔵原惟繕は日活ヌーベルバーグの旗手であり、日本の最良の映画作家の1人であると私は堅く信じています。その人が『南極物語』(1983)なるものを作ったときにはかなり堪えましたが、いずれにせよ『愛の渇き』(1967)以降は完全な下降傾向でした。石原裕次郎の『俺は待ってるぜ』(1957)がデビュー作。これは何とも渋い映画でしたが、その後、石原裕次郎の初期作品群のいくつかで安定した(しかしある意味ではちょっとヌルい)映画を作ります。その一方、川地民夫主演の『狂熱の季節』(1960)などで、ヌーベルバーグの影響を強く受けた演出をします。この両者の傾向が結びついて花開くのが1962〜63年のこと。『メキシコ無宿』(1962)、『銀座の恋の物語』(1962)、『憎いあんちくしょう』(1962)、『何か面白いことないか』(1963)。この4本は、プログラム・ピクチャーとして楽しい映画で、とりわけ『憎いあんちくしょう』は石原裕次郎/浅丘ルリ子の組み合わせのベスト作品でしょう。

その後、蔵原惟繕はプログラム・ピクチャーの部分を捨てて、純然たる文芸映画へと向かいます。これらの文芸映画の特徴は女優を主役に据えているというところにあり、浅丘ルリ子の『執炎』(1964)と『愛の渇き』(1967)、吉永小百合の『愛と死の記録』(1966)、そして芦川いづみの『硝子のジョニー・野獣のように見えて』は、それぞれの主演女優のシリアス路線における代表作となりました。『硝子のジョニー・野獣のように見えて』で芦川いづみは、当時の基準での「体当たり演技」をしています。

私は芦川いづみのファンなので『硝子のジョニー・野獣のように見えて』を取り上げましたが、ここに挙げた映画は(『南極物語』を除いて)いずれも★5つに相当する傑作です。とりわけ強調したいのは『愛と死の記録』。この映画は浜田光夫と吉永小百合の組み合わせで大ヒットした難病もの『愛と死をみつめて』(1964)の二匹目のドジョウを狙って企画されましたが、主演に予定されていた浜田光夫が事故で怪我を負ったために、ほとんど「新人」扱いの渡哲也が抜擢されました。ちなみに『愛と死をみつめて』では軟骨肉腫で吉永小百合の方が死にますが、『愛と死の記録』では被爆者の渡哲也が白血病で死にます。そういう違いが効いたのか、浜田光夫が出演できなかったことがやはり致命的だったのか、単に時代が変わったのかはよくわかりませんが、いずれにせよこの『愛と死の記録』は「二匹目のドジョウを狙った失敗作」として位置づけられ、人気もそれほど獲得できませんでした。ところがこれは、日活ヌーベルバーグの、また日本における難病もの純愛映画の最高傑作とでも言うべき映画なのです。『愛と死をみつめて』は単なる感傷的な純愛ものですが、『愛と死の記録』では、二人の純愛のあり方が直截的なセリフとかシチュエーションからではなく、画面そのものから感じ取れるような熱を持っており、その一方で、難病ものとしてはちょっと他に類がないほどのクールさを保っています。

なお、たまたまTVで、吉永小百合が当時のことを回想しているのを見たことがあるのですが、そのときの彼女の発言によると、「監督さんは意地悪でうるさかった」、「渡哲也は仕事が嫌なようで、押し入れに隠れたりしていた」らしいです。この時点で吉永小百合はすでにベテラン、渡哲也はほぼ新人です。

ちなみに、蔵原惟繕の弟の蔵原惟ニは、デビュー作の『不良少女魔子』(1971)が、藤田敏八の『八月の濡れた砂』(1971)とともに、ロマン・ポルノに移行する前の「最後の日活映画」となりました。『不良少女魔子』は傑作でしたが、その後、彼が撮ったいくつかのロマン・ポルノは残念ながら今にいたるまで見る機会がありません。

長谷部安春: 『みな殺しの拳銃』(1967) ★★★★★
宍戸錠、ニ谷英明、藤竜也、岡崎ニ郎、山本陽子、沢たまき

長谷部安春は、少なくともプログラム・ピクチャー時代はほとんど外れの作品がない凄い人です。デビュー作が『俺にさわると危ないぜ』(1966)、それ以降は『爆弾男といわれるあいつ』(1967)、『みな殺しの拳銃』(1967)、『縄張はもらった』(1968)、『野獣を消せ』(1969)、『あらくれ』(1969)、『広域暴力・流血の縄張』(1969)、『盛り場仁義』(1970)、『女番長・野良猫ロック』(1970)、『野良猫ロック・セックスハンター』(1970)、『野良猫ロック・マシンアニマル』(1970)、『流血の抗争』(1971)といずれも一級品。この間に『あしたのジョー』(1970)と『男の世界』(1971)が挟まっていますが、残念ながら見ていません。

タイトルから想像できるように、暴力に満ちた荒っぽい映画ばかり撮っていますが、ヤクザ映画系統のものとモダンな不良少年ものがあり、前者での小林旭は、その後の『仁義なき戦い』シリーズへの出演の布石となったと思われます。後者では、『野良猫ロック』の和田アキ子が非常に良いのですが、2作目から主演格になった梶芽衣子とは、その後『女囚さそり・701号怨み節』で組むことになります。またこの時期は藤竜也の全盛期と言ってよく、長谷部安春の両方の路線で重要な役を与えられて好演しています。この時期になって初めて、藤竜也は妻の芦川いづみと同等なステータスを手に入れたと言えるのではないでしょうか。ちなみに最初の2作は小林旭主演のコメディ・タッチの映画で、路線がちょっと違います。『爆弾男といわれるあいつ』は「あいつ」シリーズの4作目。

そのような中で代表作を選ぶのは難しいのですが、一番クールでかっこいい映画として『みな殺しの拳銃』を取り上げました。これに準ずるのは『野獣を消せ』です。『広域暴力・流血の縄張』に代表されるヤクザ映画も、他の映画会社のヤクザ映画には見られない、情念とクールさの見事なバランスをとった優れた作品群です。

野村孝: 『拳銃(コルト)は俺のパスポート』(1967) ★★★★★
宍戸錠、ジェリー藤尾、小林千登勢、嵐寛寿郎、杉良太郎

野村孝という人は、いろんなジャンルで標準かそれ以上のものを手堅く作る職人という印象がありますが、この『拳銃(コルト)は俺のパスポート』は大傑作で、日活の後期ハードボイルドの代表作の1つ。長谷部安春の『みな殺しの拳銃』(1967)、鈴木清順の『殺しの烙印』(1967)とともに、宍戸錠がやたら活躍した年だったようです。

この人の監督作品でそこそこ有名なものを拾ってみると、『激流に生きる男』(1962)、『あすの花嫁』(1962)、『いつでも夢を』(1963)、『夜霧のブルース』(1963)、『未成年・続・キューポラのある街』(1965)、『ネオン警察・女は夜の匂い』(1970)など、いずれも「そこそこ面白かったが、まあ普通」という感じの映画なので、『拳銃(コルト)は俺のパスポート』がこれだけ抜きんでて凄いのが不思議ではあります。

沢田幸弘: 『斬り込み』(1970) ★★★★★
渡哲也、郷えい治、扇ひろ子、藤竜也、沖雅也、岡崎ニ郎

沢田幸弘は、長谷部安春と小沢啓一とともに日活ニュー・アクションの旗手とされた人。残念なことに1970年の『斬り込み』がデビュー作で、アクションものを撮れる時期が限られたため、作品数は少ないのですが、この後の『反逆のメロディー』(1970)と『関東幹部会』(1971)も含めて高品質な作品を作っています。

武田一成: 『ネオン警察・ジャックの刺青』(1970) ★★★★★
小林旭、郷えい治

武田一成はロマンポルノの方でむしろ有名な人ですが、1969年から1970年にかけて『女の手配師・池袋の夜』(1969)、『盛り場流し唄・新宿の女』(1970)、そして本作と、軟派路線の日活ニューアクションの代表作を作っています。このあたりは、1970年代の日本の、かっこいいんだかかっこ悪いんだかわからない一般娯楽映画へと引き継がれる要素を多く含んでいます。見方によっては「映画をおもちゃにしている」という感じではありますが、プログラム・ピクチャー末期の徒花として楽しむことができます。

藤田敏八: 『野良猫ロック・ワイルドジャンボ』(1970) ★★★★★
梶芽衣子、藤竜也、地井武男、ハン文雀

藤田敏八は1970年代以降の一般映画で花開いた人で、日活時代の映画はそのプレリュードとして位置づけるべきなんでしょう。この『野良猫ロック』シリーズは前述の長谷部安春とあわせて全5作ですが、本作はその2作目。このシリーズから、長谷部安春はアクション映画のエッセンスを、藤田敏八は青春映画のエッセンスを取り出して、後の作家活動を展開していくことになります。

実際、藤田敏八は黒木和雄や大島渚などとともに、1970〜80年代の「日本の青春映画」の1つの類型のフレームワークと文法を確立した人だと言えます。このフレームワークと文法を共有していたということが、ロマンポルノの保守化(下記)の原因の1つとなったのは皮肉なことです。というのも、これ以前の日本映画における性(セックス)の扱いは、視覚的な描写は別にして、大部分のロマンポルノや同時期の一般映画と比較するとずっと「リベラル」だったと言えるのです。これは日活ニューアクションのお色気映画はもちろんのこと、それ以前の古典的タイプの青春映画を視野に入れても同じことで、極論を言えば1949年の『青い山脈』(今井正)はロマンポルノ以上に開放的であると言えます。何でこんなことになったのかということについては、項を改めて記すことにします。

とりあえず、これで終わります。まずdisclaimerを記しておく必要があります。私はそこそこ年を喰っていますが、これらの映画をリアルタイムで見た世代ではありません。見たのはほとんどすべて1980年代の中頃で、その時点でこの時期の(日活に限らない)プログラム・ピクチャーは「大昔の黄金時代」として懐かしがられていました。したがって、本稿に書かれているさまざまな解説は「後づけで再構成」したものです。ただし、日本映画の全盛期がどんな感じだったのかを知りたくて、いろいろと調査をしたりもしたので、それほどは外れていないという自信はあります。もう一点、これらの映画を最後に見てからすでに10年以上が経過しており、本稿はその記憶のみに基づいて書かれています。ただし、私は10年以上前から、これらの映画についてはほとんど同じことを言っているので、大きな勘違いはしていないでしょう。

本稿を書き始める前には、1950年代末から1960年代初頭にかけての映画がもっと多くなると思っていましたが、できあがってみれば1960年代後半のものが多くなりました。冷静に考えると、1960年代中盤以前とそれ以降の間には、日活以外の映画会社の作品も含めて、大きな断絶があるように思います。ここでのキーワードはやはり「ヌーベルバーグ」ということになるんでしょう。一般に日本の「ヌーベルバーグ」というと大島渚などのあまり商業指向でないものが連想されると思いますが、大手映画会社のルーチン的な映画製作の中にも影響は現われていました。そして残念なことに、これは日本映画の黄金時代の終焉を予告する動きでもあったわけです。因果関係がどちらにあるのかはわかりませんが、製作会社のコントロールが効かなくなる(鈴木清順事件はその象徴)という事態と、個々の映画作者が(制約はありながらも)自由にアーティスティックな活動をするという事態がフィードバック・ループを形成した結果、商業指向の市場とアーティスティックな市場の両方が縮小し、映画の製作システム全体が崩壊して、映画文化自体が貧しくなるというスパイラルが生じました。日本映画の衰退の原因をTVの普及などの外的要因に求める議論はよくありますが、内部的なメカニズムによって自壊に向かったという観点にはそこそこの意義もあります。たとえばこのところ「読書メモ」で何度か取り上げている1990年代の書籍出版業界の衰退と似ている面もないわけではありません(もちろん似ていない面も多いですが、寡占的市場を背景にした下方硬直的な価格、需要とコスト意識を無視した供給競争、新しいメディアとの競争での敗北、恐ろしく古臭くなった製作体制、そこから生じるモラル・ハザードなどが共通しています)。

皮肉なことに、マーケットの崩壊が起こる直前の映画は面白いのであり、本稿で取り上げる映画が1960年代後半から1970年代初頭に多く分布しているのもそのためです。この時期のプログラム・ピクチャーの大きな流れを見ると、(1) 前述の「ヌーベルバーグ」の路線での、映画の製作手法における変化、(2) アメリカの「ニュー・シネマ」の路線での、社会的トピックに対する姿勢の変化、(3) 性というテーマへの取り組みの変化として、ごく普通の意味での「エロ」の登場(いまから見るとロマンポルノへの移行はごく自然なように見えます)というような特徴が指摘できるでしょう。一方、1980年代のにっかつロマンポルノの崩壊直前には、日活プログラム・ピクチャーの改革者であった、「ニューアクション」の精神を引き継いでロマンポルノの黄金時代を作った人々が「保守」の立場にあり、それに対してより現代的な若手監督たちが、ポルノ映画としての最低限の商品価値を確保しながらアーティスティックな活動をするという事態が生じていました。本稿の趣旨に引き戻して言えば、プログラム・ピクチャーの内部革命家たちは、その後の活動で保守反動に移行したという歴史的コンテキストを認識しておく必要があります。

さて、本稿で取り上げている時期は、日活以外の映画会社も素晴らしい作品を続々と作り出していました。しかし、何ぶん母集団が大きいので、ランダムに適当なものを見た場合、それはまず間違いなくどうしようもなくつまらない映画でしょう。ミュージカルの項でも述べたように、そのような作品を見ておかないと、優れているものがどう優れているのかが理解できません。しかし、プログラム・ピクチャーの駄作を見るという作業は、「マニア」の域に到達しないと非常に苦しいものなので、私としては、この記事で取り上げた人々を初めとする監督の名前で映画のスクリーニングをすることをお勧めします。「裕次郎映画」とか「渡り鳥シリーズ」みたいに、主演俳優で映画を選んでいると、かなりの確率で駄作にぶち当たります。

1960年代初頭以前の日本映画を見るときには頭を切り替える必要があります。これから昔の日本映画を見ようとする人にとって、おそらく1960年代の映画はいくぶんなりとも現在とのつながりがあるように見えても、それ以前の映画には決定的な断絶があるように思えるでしょう。たとえば上の蔵原惟繕の例で言えば、1962年の『憎いあんちくしょう』は「レトロ感覚の映画」という範囲内で受容可能でしょうが、デビュー作の1957年の『俺は待ってるぜ』は、たとえば『カサブランカ』と同類の「古い映画」と感じられると思います(なお蔵原惟繕は先進的な人だったので、1962年の時点での『憎いあんちくしょう』はきわめて新しいものだったということに注意する必要があります。これが一般に広まるのは1960年代後半になってのことです)。

なお、本稿では日活を取り上げましたが、この時期にはどの大手映画会社も似たような大変動を経験しています。私は、そのなかでもとりわけ日活がプログラム・ピクチャーとヌーベルバーグの緊張関係という点で興味深い動きを見せていたと考えていますが、これは日活だけがロマンポルノという形でプログラム・ピクチャーの製作を継続したという事情とも何らかの関係があるんでしょう。映画会社に存在していた徒弟制度の中で何歳で監督第一作を撮れるか、またプログラム・ピクチャーが本格的に衰退する前に第一作を撮ることができたかということとも関連しており、この時期の大変動を引き起こした映画作家の中で、日活の映画監督は他の大手映画会社の映画監督よりも全体的に年齢が低いように思われます。逆に、他の映画会社ではベテラン監督でも奇怪な映画を撮っていたと言えます(大映の森一生、東宝の岡本喜八、東映の加藤泰、あちこちで映画を撮っている市川崑など。岡本はちょっと若いか)。日活には、この世代の映画作家で1960年代以降の新しい波にうまく乗れたと思える人はほとんどいません。このことが、ポスト・ヌーベルバーグの思想潮流のなかで、日活という映画会社が他の映画会社と比べて軽視される傾向がある(あるとすれば、ですが)ことの理由の1つなんではないかと、私は勝手に思っています。

なお、私は芦川いづみ、笹森礼子、松原智恵子、小林旭、宍戸錠、藤竜也、川地民夫のファンです。

2000/9/1

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