お勧め映画、第6回、コメディ映画

 第6回の「お勧め映画」ではコメディ映画を取り上げます。第5回が少しマニアックな方向に走ってしまったので、その反省から、ごく当たり前の正統的な作品を紹介することにしました。

 今回は、代表的なコメディ俳優と映画作家を年代順に取り上げていきます。アメリカ映画が中心になります。

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マック・セネット: キーストン・コップス (1910年代) ★★★★
マック・セネットは、1910年代にチャールズ・チャップリンやロスコー・「ファッティ」・アーバックルなどの有名人を輩出したキーストン社の創設者で、「キーストン・コップス」という有名なジャンルを生み出した製作者・監督であり、スラップスティック・コメディの事実上の発明者です。個別の作品の作者というよりも、このジャンルそのものの代名詞です。

「キーストン・コップス」は、顔を白塗りした多数の警察官が誰か(たいていは無実の主人公)を追いかけ、あちこちで喜劇的な騒動を巻き起こすというパターンのことであり、「ドタバタ喜劇」、「追いかけっこ」、「パイ投げ」の原型であるとともに、長時間にわたるダイナミックな動きをロング・ショットと近目のショットでどのようにつなげるかという映画技法の発明でもありました。これは初期の日本映画の時代劇(まあ現代劇よりも時代劇の方が多かったわけですが)にも大きな影響を与えており、初期の日本の時代劇は殺陣がそれほど洗練されていないかわりに、アクションに参加する人数が多く、移動も激しいという印象があります。

この時期の映画は、後に有名になった俳優(チャップリンなど)の「初期の作品」として見る機会がちょくちょくあると思いますが、それ以外の文脈ではまとめて見るのはなかなか難しいかもしれません。

バスター・キートン: 『キートンの蒸気船』"Steamboat Bill Jr." (1928) ★★★★★
バスター・キートンは文句なしに20世紀の最も偉大な映画作家の1人です。有名な作品はビデオとして出ていますし、上映会も頻繁に開かれているでしょうから、とりあえず可能なものはぜんぶ見ておく必要があります。これらを見ておかないと、この後に作られる、つまり実質的に20世紀映画のほとんどすべてのスラップスティック映画が理解不能になるからです。

この『キートンの蒸気船』は非常に有名な暴風のシーンが入っている映画で、まちがいなく彼のベスト作品の1つですが、自ら監督をした事実上の最後の映画でもあります(この後に彼はMGMの製作システムの下に入り、自分では監督に関わらなくなります)。したがって、傑作群はこの映画の直前にあり、『キートンの大列車追跡』"The General" (1927)、『キートン西部成金』"Go West" (1925)、『キートンのセブン・チャンス』"Seven Chances" (1925)、『海底王キートン』"The Navigator" (1924)、『キートンの探偵学入門』"Sherlock Jr." (1924)などがそれに該当します。

ハリウッドのサイレント映画時代のコメディで、いまでも見る機会があり、また見ても面白い(かもしれない)ものを他に挙げておきます。ハロルド・ロイドはキートンと人気を分けるコメディアンでしたが、特に有名なものを除き、見る機会が少ないかもしれません(私は初期のものはまったく見ていません)。非常に有名なのは『ロイドの要心無用』"Safety Last" (1923)で、ビルの外壁を登っていく恐ろしいアクションを演じています。しかし私は、彼の絶頂期は1910年代の短編の時期にあったのではないかと思っています。オリヴァー・ハーディとスタン・ローレルの「ローレル&ハーディ」ものは、日本ではタイトルに「極楽」という言葉を付けて公開されました。いま見て面白いかどうかは微妙なところですが、ボケとツッコミのパターンの原型です。

マルクス兄弟: 『我輩はカモである』"Duck Soup" (1933) ★★★★★
バスター・キートンがサイレント映画の終焉と運命をともにしたとすれば、トーキーによって生命を与えられたのがマルクス兄弟でしょう。グルーチョの喋りとハーポの沈黙の対比、ミュージカル映画としての要素も備えた豊かな音楽シーンなどがないマルクス映画は考えられません。この『我輩はカモである』はレオ・マッケリーが監督しており、『マルクス兄弟オペラは踊る』"A Night at the Opera" (1935)と『マルクス一番乗り』"A Day at the Races" (1937)はサム・ウッドで、普通の映画としての見応えも十分にあります。MGMでの最終作『マルクス兄弟デパート騒動』"The Big Store" (1941)で全盛期は終わったとされていますが、彼らはメジャーになる時期が遅かったため、映画の世界で活躍した時期は長くありませんでした。とはいえ、私はハーポの老いが痛々しい『ラヴ・ハッピー』"Love Happy" (1949)もなんとなく好きでした。

シティボーイズはマルクス兄弟の再生産ですが、外見とは異なり、大竹まことがグルーチョではなくチコであるところが興味深い。なお、シティボーイズがマルクス兄弟のようになれないであろう決定的な理由は、(発想が60年古いということを除けば)彼らが楽器を演奏できないというところにあるでしょう。あの路線には音楽が必要なのです(なお、シティボーイズはミュージシャンと組んで舞台を作っていることを付け加えておきます)。その点で、クレージー・キャッツや(それよりはスケールが落ちるが)ザ・スパイダース、そして三人娘など、日本のプログラム・ピクチャーの中でミュージシャンを主役にして作られた映画群の方が、よりマルクス兄弟に近くなる可能性があったと言えます。これはかなり独特な見解であります。

なお、ヴォードヴィル出身といえばエノケンに言及する必要がありますが、彼は歌を歌うにせよ、バスター・キートンの再生産です。

アボット&コステロ: 『凸凹海軍の巻』"In the Navy" (1941) ★★★
日本では「凸凹」という言葉を付けて公開されていたアボット&コステロは、いま見るとたぶんまったく面白くないでしょう。しかしあえて彼らを取り上げるのは、アメリカ映画に決定的な影響を与えた第二次世界大戦時の代表的コメディアンだからです。海外に進出したアメリカ人兵士たちを勇気づける慰問団は、コメディアンではアボット&コステロとボブ・ホープ、歌手ではビング・クロスビーとアンドリューズ・シスターズ、ピンナップ・ガールではベティ・グレイブルによって象徴されます(私見)。

本作は海軍を舞台にしたドタバタ喜劇で、国策映画であり戦意昂揚映画です。

ボブ・ホープ&ビング・クロスビー: 『アフリカ珍道中』 "Road to Zanzibar" (1941) ★★
アボット&コステロと同時期に、ボブ・ホープ&ビング・クロスビーが、日本では「珍道中」という言葉を付けて公開された映画でコンビを組んでいます。アボット&コステロがコンビ以外のなにものでもなかったのに対し、こちらのコンビはそれぞれ独り立ちし、ホープは「腰抜け」という言葉を付けて公開された一連の映画を一人で背負い、クロスビーは大物歌手としてもっぱらミュージカル映画の主役を張ることになります。

「珍道中」シリーズと「腰抜け」シリーズは、「凸凹」シリーズと同じように、いま見ると厳しいところがあると思います。なお、この時期のアメリカ映画には、(明らかな理由から)日本での初公開が10年ほど遅れています。この時期的なギャップは非常に興味深いのですが、また別の機会に論じることにしましょう。

フランク・キャプラ: 『毒薬と老嬢』 "Arsenic and Old Lace" (1944) ★★★★★
フランク・キャプラは、レオ・マッケリー、エルンスト・ルービッチ、ビリー・ワイルダー、サム・ウッドなどとともに、1920〜30年代頃から「人情喜劇」のジャンルを支えた人の一人です。この『毒薬と老嬢』は、キャプラの映画の中でも舞台劇の映画化であるがゆえに特殊な作品になっているのですが、あえてこれを取り上げたのは、キャプラの本流である人情喜劇を、この時期のスクリューボール・コメディとともに別稿で扱うつもりだからです。

この映画はたぶん現代人が見ても爆笑できるでしょう。ケイリー・グラントのこの「軽み」は、都会派の役者としての特徴でした。プリシラ・レインの美しさ、ピーター・ローレの奇怪さはいまでも通用すると思います。この1940年前後から、おそらく現在でも十分に笑えると思われるシチュエーション・コメディが作られ始めます。一方、たとえば同じフランク・キャプラの有名な『プラチナ・ブロンド』"Platinum Blonde" (1931)や『或る夜の出来事』"It Happened One Night" (1934)が果たしていま見て笑えるかどうかは難しいところではないでしょうか。これはジーン・ハーロウ、クローデット・コルベールといった1930年代的な女優たちがたぶん今では通用しないのに、1940年代に入ると現代的な美人が急速に出現するということと符合しています(偏見が入っています)。

ダニー・ケイ: 『虹を掴む男』"The Secret Life of Walter Mitty" (1947) ★★★★★
第二次世界大戦が終わり、1950年代のやたらに明るいアメリカの前兆が現れてきます。ダニー・ケイはその雰囲気を代表するコメディ俳優だと言えるでしょう。現代的な洒落た感じ、アクションをこなせるシャープな体の動き、似た感じの役者には、レッド・スケルトン、ドナルド・オコナーなどがいます。

この人々は、ヴォードヴィルの素養があるためにちゃんと動けるということもあって、1940〜50年代のミュージカル映画の中でそこそこ重要な役割を果たします。この時期のミュージカル映画は、定義上、ほとんどすべてがコメディのストーリーに踊りと歌が配置されるという構成になっており、女性がミュージカル・スターである場合には主役として、主役男性がミュージカル・スターである場合には脇役としてコメディアンが欠かせなかったというわけです。

フランキー堺は、このタイプのヴォードヴィリアン経由のハロルド・ロイドの再生産です。。

ジェリー・ルイス&ディーン・マーティン: 『底抜けのるかそるか』 "Hollywood or Bust" (1956) ★★★
明るい1950年代を代表するコンビが、このルイス&マーティンでしょう。日本では「底抜け」という言葉を付けて公開されています。ここまでに挙げてきたコンビと比べると、ルイスの側に過剰なコメディ要素があり、マーティンの側に「色男」の要素があります。

いまジェリー・ルイスを許容できるかは非常に難しいところでしょう。アメリカ人一般は、この人がかつて人気者だったことを忌まわしい記憶として抑圧したいと考えているのに対し、なぜかフランス人の間ではジェリー・ルイス人気が命脈を保っているという話を聞いたことがあります。まあフランス人はよくわからない、ということで。ルイスのアクの強さに気を取られがちですが、シチュエーション・コメディとしての作りは一般にしっかりとしています。ノーマン・タウログ、フランク・タシュリンなどの、結構安定して面白い映画を作る人々が作品を手がけています。

ジャック・レモン: 『あなただけ今晩は』 "Irma la Duce" (1963) ★★★★★
ジャック・レモンは結局のところ偉大な俳優だったということになるでしょう。1959年の『お熱いのがお好き』"Some Like It Hot"でメジャー入りし、その後、ブランクはあるものの、1998年の
『おかしな二人2』"The Odd Couple II"の時点でもコメディをやっています(現実には、たぶん1982年の『ミッシング』あたりから本格的なシリアス路線に転向し、1993年の『ラブリー・オールドメン』でコメディ復帰ということだと思います)。

彼の偉大さは、ビリー・ワイルダーとニール・サイモンという二人の才人の代表的作品群に出演したというところにあります。これらはいずれも、ジャック・レモンという人がいなければ作れなかったであろうような映画です。一方、彼のシリアス路線は全般的に作品に恵まれていないと言えるでしょう。

いくつもある大傑作のなかから、この『あなただけ今晩は』を取り上げたのは、これが(かなり大胆な意見ですが)ビリー・ワイルダーとジャック・レモンの組み合わせの最高傑作であると信じているためです。その他、ジャック・レモンのコメディ映画としてぜひ見ておくべきものとしては、前述の『お熱いのがお好き』(ビリー・ワイルダー)、『アパートメントの鍵貸します』"The Apartment" (1960)(ビリー・ワイルダー)、『グレート・レース』"The Great Race" (1965)(ブレイク・エドワーズ。これは「回顧趣味」の映画であることに注意。コンテンポラリーなものではありません。また、ジャック・レモンは脇役の位置づけ)、『恋人よ帰れ! わが胸に』"The Fortune Cookie" (1966) (ビリー・ワイルダー。ウォルター・マッソーとの共演。大傑作)、『おかしな二人』"The Odd Couple" (1968) (ジーン・サックス監督、ニール・サイモン脚本。ウォルター・マッソーとの伝説的共演)、『おかしな夫婦』 "The Out-of-Towners" (1970) (アーサー・ヒラー監督、ニール・サイモン脚本)、『フロント・ページ』 "The Front Page" (1974) (ビリー・ワイルダー監督。ヘクト=マッカーサーの名作のリメイク。ウォルター・マッソーとの共演。スーザン・サランドンが出ている)などがあります。

ピーター・セラーズ: 『ピンクの豹』 "The Pink Panther" (1963) ★★★★
ブレイク・エドワーズの1960年代的コンテンポラリーなコメディ映画の代表作が、このピンク・パンサーであるというと歴史の歪曲になるかもしれません。実はピンク・パンサーのシリーズが現代人に深く刷り込まれたのは、1970年代の一連のリバイバル・シリーズによるのではないかと思われます。この『ピンクの豹』は、本来は怪盗役を演じるデヴィッド・ニーヴンが主であり、それを追うクルーゾー警部は従の役割だったのですが、このときのピーター・セラーズがあまりにも良かったために、1964年の『暗闇でどっきり』 "A Shot in the Dark" (1964)がクルーゾー警部を主役として作られたという経緯があります。なお、1968年の『クルーゾー警部』 "Inspector Clouseau"(バッド・ヨーキン監督)は、アラン・アーキンをクルーゾー役として作られています。

ピーター・セラーズは何か恐ろしい知性を背後に感じさせるのですが、これはキャリアの初期にスタンリー・キューブリックの『ロリータ』 "Lolita" (1961)と『博士の異常な愛情』 "Dr. Strangelove" (1964)に出ていたための先入観でしょうか。それとも単に、この稿で取り上げている唯一の英国人だからなのでしょうか。あまり良い出来ではなかったのですが、死ぬ直前の『チャンス』 "Being There" (1979) (ハル・アシュビー)の枯れた感じも忘れられません。

メル・ブルックス: 『ヤング・フランケンシュタイン』 (1974) "Young Frankenstein" ★★★★★
「古き懐かしき映画を現代的な枠組みで蘇らせる」という崇高な目的と、鋭敏な臭覚を持ち、本人はタップも踏める芸達者なのだが、映画作りが決定的に下手だというメル・ブルックスの、唯一文句なしに面白い映画が、この『ヤング・フランケンシュタイン』です。後に彼が作った映画のリストを見ていると、なぜこの映画だけがこれほど完成度が高かったのか謎です。実は、この映画で主演し、共同で脚本を書いているジーン・ワイルダーが良い効果を生み出していたのではないかと思うのですが、ジーン・ワイルダー当人もつまらない映画に多く出演しています(ただし全般的にメル・ブルックスよりはましで、『大陸横断超特急』 "Silver Streak" (1976)(アーサー・ヒラー)は傑作です)。ジーン・ワイルダーの監督作品としては、『新シャーロック・ホームズ/おかしな弟の大冒険』 "The Adventure of Sherlock Holmes' Smarter Brother" (1975)が少しましですが、ちょっと時代は下るものの、『ウーマン・イン・レッド』 "The Woman in Red" (1984)が良いです(共演のケリー・ルブロックが美しい)。

本作の後、メル・ブルックスは『ブレージングサドル』 "Blazing Saddles" (1974)、『サイレント・ムービー』 "Silent Movie" (1976)、『メル・ブルックス/新サイコ』 (1977) "High Anxiety" を作りますが、いずれも着想は良いものの、『ヤング・フランケンシュタイン』ほどの完成度ではありません(でもけっこう好きです)。しかし、『メル・ブルックス/珍説世界史PART I』 (1981) "Mel Brooks' History of the World Part I"は大こけしており、これ以降、彼の関わる映画は、製作・出演を含めてすべてダメといっても過言ではなさそうです。

ザッカー兄弟&エイブラハムズ: 『トップ・シークレット』 (1984) "Top Secret" ★★★★★
ジム・エイブラハムズ、デヴィッド・ザッカー、ジェリー・ザッカーの3人組。彼らは『ケンタッキー・フライド・ムービー』"The Kentucky Fried Movie" (1977)の脚本を書いて世に出ました。この映画はジョン・ランディスというどうしようもない人が監督ですので、あえて言及するようなものではありません。その後、彼らは『フライングハイ』"Flying High" (1980)で監督・脚本に携わり、それほど出来が良かったとはいえないものの、「既存の映画のパロディ」というジャンルを確立しました。その後に作られた『トップ・シークレット』 "Top Secret" (1984)が、私見では、このジャンルの今に至るまでの最高傑作であり、またザッカー兄弟&エイブラハムズの最高傑作でもあります。

この次の『殺したい女』 "Ruthless People" (1986)は、他人の脚本を使った普通のシチュエーション・コメディに近いものですが、このジャンルのものとしてはあまり出来はよくありませんでした。その後、パロディに回帰して作ったレスリー・ニールセン主演の『裸の銃(ガン)を持つ男』 "The Naked Gun" (1988)のシリーズは、レスリー・ニールセンという役者が面白い稀な映画であるという点で、やはり監督の才能は重要だなあと思わせる部分があるのですが、すでに終わったものを再利用しているという感がなきにしもありません。そもそもこの映画は"Police Squad"というTVシリーズが元となっており、これらは『フライング・コップ』というタイトルで日本でもビデオ化されていますが、ジョー・ダンテなども参加しているこのシリーズの方が映画版よりも面白いのです。

とりあえずこれで終わります。重要な人物や作品が抜けているような気もしますが、また別の機会に追加することにしましょう。なお1980年代以降は現在進行形であり、「映画メモ」やお勧め映画の第1〜3回、またはそれに類した今後の稿で扱いたいと思います。上でザッカー兄弟&エイブラハムズを取り上げているのは、彼らが「すでに終わった」という判断があるということです。

同じように「すでに終わった」1980年代固有のトピックを2つ取り上げておきます。1つは、『アニマル・ハウス』"National Lampoon's Animal House" (1978)あたりを始まりとする、無軌道かつ純情な若者集団の騒ぎを描く青春映画です。この系列には『ポーキーズ』"Porky's" (1981)や『ポリス・アカデミー』"Police Academy" (1984)などが属しています。これは同じ時期に流行した、若者の集団が悲劇に見舞われるスプラッター映画と組になっているトレンドであると考えられます(『13日の金曜日』"Friday the 13th"は1980年)。注意していただきたいのは、これらのコメディ映画が公開当時からすでに馬鹿馬鹿しく、面白くもなんともなかったということです。おそらく本国のアメリカで、群れをなしてこういう映画を映画館に見に行く若者のマーケットが急激に拡大したのではないかと推測していますが、確かめたことはありません。もう1つは、実は『アニマル・ハウス』の流れから派生したものと考えられますが、これよりもずっと洗練されたジョン・ヒューズ人脈です。ジョン・ヒューズは『ナショナル・ランプーン』シリーズの脚本を手がけていますが、それと並行してハワード・ドイッチやクリス・コロンバスなどの人々とともに、コメディとシリアスなドラマを含む上質な作品を1980年代にたくさん作りました。残念ながら、この人たちは1990年代に入っていっせいに失速したようですが、少なくとも1980年代の青春映画に新しい風をもたらした改革者でした。この件については『お勧め映画・第3回』に関連する記述があります。

前者の流れは1990年代にも影響を残しています。たとえば『メリーに首ったけ』は、『アニマル・ハウス』の時期にハイスクールの学生だった主人公たちが、1990年代の終わりになってどうなったかということを扱っています。この手の「恥ずかしい80年代を回顧する」映画は、映画メモで取り上げているものでは他にも『ザ・サバーバンズ』があります。間接的に80年代を断罪しているのは『オースティン・パワーズ』で、この映画の主人公は1960年代から1990年代に直接移行しますが、これには70年代と80年代をなかったことにしたいという作者の意思が含まれています。80年代がロックとポップスのファンにとっての暗黒時代だったということと同じことが、映画についても言えます。

この時期のダメさを象徴する他の名前を断片的に挙げていくと、次のような感じでしょうか。エディ・マーフィー、ジョン・ベルーシ、ジョン・ランディス、スティーヴ・マーティン、ウディ・アレン、トム・ハンクス、ベティ・ミドラー、チャーリー・シーン、チェビー・チェイス、マーティン・ショート、ダン・エイクロイド、リチャード・プライヤー。こうして見ると『サタデー・ナイト・ライブ』は映画界にひどい影響を与えています。なお、ここに挙げた人々の中には、1990年代に入って良くなった人もいます(特にスティーヴ・マーティン)。

この稿ではほとんどアメリカ映画ばかりを取り上げましたが、それ以外の国の映画で特に記しておきたい固有名詞がいくつかあります。(1) ジャッキー・チェンは、『ジャッキー・チェン マイ・スタント』の項に書いたようにバスター・キートンとジーン・ケリーに並ぶ偉大な映画作家であり、コメディという文脈では、京劇の伝統的動きを現代的にコミカルなアクションと融合させた改革者であるだけでなく、キートンやロイドのスタントの再現を試みた温故知新派でもあります。(2) ルイス・ブニュエルとジャン・クロード・カリエールの変態コンビによる『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』"Le charme discret de la bourgeoisie" (1972)と『自由の幻想』"La fantome de la liberte" (1974)。バカ映画の極限の形態。これらの映画のせいで、これ以降の「ナンセンス喜劇」とか「シュールリアリズム」路線の映画がクリアしなければならないハードルは非常に高くなってしまいました。というか、これをクリアしたものはないんじゃないでしょうか。(3) 岡本喜八の『ああ爆弾』(1964)。コメディ路線では『独立愚連隊』(1959)や『殺人狂時代』(1967)、そして1970年代以降の作品が言及されることが多いように思いますが、最高傑作はこの『ああ爆弾』で、『江分利満氏の優雅な生活』(1963)がそれに続くと私は思っています。(4) ジャン・ポール・ベルモンドの主演作。1960年代末あたりから国民的大スターとなり、軽い感じの娯楽アクションものにたくさん出演しています。あのにやけた顔ですから、基本的にコメディ路線。フランスの、ちょっとだけおしゃれな大衆映画です。(5) 古沢憲吾とクレージー・キャッツの『ニッポン無責任時代』(1962)。上の「マルクス兄弟」の項で言及していますが、これとその続篇である『ニッポン無責任野郎』(1962)は同時期の東宝ミュージカル/コメディ映画の中でもたしかに図抜けて面白いです。残念ながら、古沢憲吾とクレージー・キャッツの両者にとって、この2本がピークであったように思われます。東宝プログラム・ピクチャーという文脈では「お姐ちゃん」シリーズや「三人娘」の出演作も面白いのですが、本稿で扱っているような本格的なコメディと並べて論じるのはちょっと無理があるでしょう。

コメディ映画の、とりわけアメリカのコメディ映画の系譜を眺めるときには、次の2つの点を念頭に置く必要があります。1つは、20世紀のアメリカの歴史一般です。アメリカ現代史をここで論じることはしませんが、映画が世情を反映するものだとしたら、コメディ映画は社会の影響を最も受けやすいジャンルだといえます。これは、「どのようなギャグを面白く感じるか」という感受性が、他の感受性と比べてもきわめて鋭敏なものであるということを原因としているでしょう。もう1つは映画史、というよりも映画というジャンルそのものが抱え持つ歴史です。具体的な例を挙げましょう。上に書いた、『オースティン・パワーズ』が70年代と80年代をなかったことにしようとしているという事情は、2000年に生きるわれわれには(賛同するかどうかは別にして)諒解可能なことです。これは『オースティン・パワーズ・デラックス』で明示されているように、Dr. EvilとMini-Meが演じるヒップホップ/ラップと、60年代の音楽、とりわけバート・バカラックが、この2000年の時点では「クール」であり「ヒップ」であるということを反映しています。このような流行のサイクルの、コメディ映画のジャンルにおけるとりわけ重要なトピックは、1950年代の赤狩りと、1960年代頃からのスラップスティックの復権であると私は考えています。この2つは実は同じ傾向の2つの側面なのかもしれず、まったく関係ないのかもしれないのですが、具体的な事象としては、チャールズ・チャップリンやバスター・キートンなどの、現在では文句なしの巨匠とされている人々が、アメリカ映画史における一時期に忘却/忌避されていたというが重要です。

本稿ではロマンティック・コメディのジャンルは意図的に外しました。このジャンルはどの時代にも安定して作られており、純粋な「コメディ」にあまり元気がないように見える1990年代以降にも良い作品がたくさん作られているように思います。これについてはまた別稿で。

2000/9/21

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